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東京地方裁判所 昭和41年(ヨ)2259号 決定 1966年12月22日

申請人 榊原茂 外四名

被申請人 丸井自動車株式会社

主文

被申請人は、申請人榊原茂に対し金八五六、六三一円、同小林孝に対し金八九九、八五四円、同阿部多蔵に対し金七九〇、二四二円、同田村泰雄に対し金七三八、三二六円、同安藤克己に対し金一六九、八〇〇円を仮に支払え。

申請人らのその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一申請人らの申請の趣旨

「被申請人は申請人榊原茂に対し金一二二三六五〇円、同小林孝に対し金一〇七三五九〇円、同阿部多蔵に対し金一〇五九三六〇円、同田村泰雄に対し金九〇三七〇〇円、同安藤克己に対し金二六五五二〇円をそれぞれ仮に支払え。」との裁判

第二当裁判所の判断

一  被申請人(疎明によれば、従前司自動車株式会社と称したが、昭和四〇年三月改称した。以下「会社」ともいう。)が東京都足立区に本店を有し、一般乗用旅客自動車運送事業等を営むものであつて、申請人らがいずれも遅くとも昭和三八年には、タクシー運転手として会社に雇傭されていたが、会社が申請人榊原に対し昭和三九年四月一〇日、同小林に対し同月三〇日、同阿部および同田村に対し同年六月八日それぞれ懲戒処分として解雇する旨の意思表示をし、また申請人安藤に対し同年六月一九日および九月一一日の二回にわたり懲戒処分として各六〇日間の休職を命じたことは当事者間に争いがない。

二  しかしながら、右各懲戒解雇および懲戒休職はいずれも以下説示する理由により労働組合法七条一号の不当労働行為を構成する。すなわち、

(一)  まず、右判断の基礎となる事実関係につき、当事者間に争いのない事実および疎明により一応認めた事実を概括して示せば次のとおりである。

1 労働組合とその活動

(1) 会社の従業員の大半は昭和二八年司自動車労働組合(以下「組合」という。)を結成したが、申請人らはいずれも組合に加入し、上記処分当時、申請人榊原は執行委員長、同小林は書記次長、同阿部および同田村は執行委員の役職にあつた。

(2) 組合は昭和三三年上部団体加盟問題に端を発し、加盟反対の立場にあつた執行部がリコール要求を受けて改選された結果、当時の関東同盟(現在、全国自動車交通労働組合連合会。以下「全自交」という。)加盟を決定し、それ以来右上部団体もしくは地域内の労働組合の中核的存在として積極的活動をし、労働者の地位向上の手段として、自治体共斗会議、失対・生活を守る会、平和委員会、日中友好協会、日朝友好協会、アジアアフリカ連帯会議等に参加するなど政治活動をも展開し、昭和三八年の春季斗争によつて妥結した賃金に関する協定の実施方法をめぐつて同年一二月以降、後記三にみられるような斗争を行つた。

2 会社の組合対策

(1) (樽沢社長の就任)

会社の代表取締役今井福松は右賃金協定の実施に関する紛争がよういに解決しないところから、かねて知合の正和自動車株式会社(以下、「正和」という。)社長樽沢正に事態収拾のため出馬を乞い、同人はこれに応じて昭和三九年三月一五日会社の代表取締役に就任して社長となつたが、これよりさき同月中のこと、会社は休車解消を理由に約三〇名の臨時運転手を雇入れた。そして、樽沢社長は同月二三日早朝六時三〇分頃、本来会社と関係があろうとも思えない正和の従業員、防共青年隊員を含む約二〇〇名の者を伴つて出社し、これらの列する社庭に全従業員約一六〇名(うち組合員は約一三〇名)を集会させ就任の挨拶を行つたが、その際、組合が争議手段として営業車両に貼付していたステツカーの撤去および組合がその事務所に掲げていた組合旗の降下を命令し、組合がこれを拒否するや、樽沢社長の意を受けた正和の運転手および会社の臨時運転手らが忽ち右ステツカーを剥し、組合旗を降した。これに次いで、樽沢社長は前記のような外来者らが取囲んだ会社の事務所で組合と団体交渉なるものを行つたが、その際組合側に対し同年一月三日に確立したスト権の即時解除を要求するとともに「今後、組合運動は認めない。組合の集会は禁止する」旨を一方的に宣言した。

(2) (会社の組合活動に対するその後の態度)

(イ) 会社は翌二四日組合の承諾がないのに、会社構内と組合事務所との通路を成していた空地を板塀で塞いで組合事務所、会社構内間の直接出入ができないようにした。なお、同日中、樽沢社長は臨時運転手四、五名とともに組合事務所に土足でかけ込み、居合せた全自交のオルグ小林望に対し「この野郎、出ろ」と言つて挑みかかろうとして、組合員らに阻まれたが、その後臨時運転手一四、五名が再び組合事務所に赴き、右小林を取囲んで、表に放り出した事実もある。

(ロ) 会社は右同日以降、臨時運転手および防共青年隊の隊員を少くとも午前一〇時頃まで会社構内に屯ろさせ、これらの者が後記(3)のように組合員に対し脅迫、暴行を行うことを放任したうえ、会社構内における組合の集会、掲示等の活動を禁止した。かくして、組合が従来食堂内で始業前に行つていた集会をはじめ会社構内で行う集会は右のような暴力、脅迫等により事実上行い得ないことが多くなり、また、組合の掲示板は会社側の手により撤去され、組合の貼示文書も、そのつど、剥ぎ去られたため、会社構内での文書活動は事実上できなくなつた(もつとも、組合は同年七月一〇日会社の社屋二階仮眠所の壁、ガラス戸、掲示板にペンキで会社を非難する文書を書いた事実はある。)。なお、同月二七日には組合がその事務所に組合旗を掲げていたところ正和の専務取締役樽沢隼人(樽沢社長の娘婿)会社の役員らを含む一五名位は組合事務所に赴き、「何故、組合旗を立てた。降ろせ。降ろさなければ、実力で降ろす」と申入れ、また、臨時運転手らが組合事務所の屋根から硫酸を組合旗に振りかけてこれを焼いたりした事実もある。

(ハ) また、会社は同年三月二三日から同月末日までは組合と五回にわたり団体交渉を行つたが、その後は組合の同年四月一九日から同年五月三一日まで六回の団体交渉申入に対しては、解雇者(申請人榊原および同小林)を組合側委員とする以上、応じられないとして、これを拒否する一方、同年四月二八日および五月二日には組合の存在を無視して、明番者全員(非組合員を含む)と交渉を行う旨を組合に通告するなどして組合と団体交渉を行わなかつた(もつとも、全自交と会社の参加する経営者団体である東京乗用自動車協会との間では会社および組合も交えて団体交渉が行われた事実はある。)。

(3) (会社の組合員に対する脱退工作等)

(イ) 樽沢社長就任以降、組合脱退が続出し、同年三月二四日、同月二九日および四月一日付で組合になされた脱退届の提出者は合計三八名に達したが、右脱退届はいずれも組合員が正和の構内に赴き正和の用紙を使用して作成したものであつた。そして、組合脱退者は共和会なる名称の第二組合を結成すべく、同年四月三日午前一〇時から正和の構内でその結成大会を開いたが、これには就業時間中にあつた者も会社役員の許可を得て参加し、不就労時間につき賃金カツトを受けることもなかつた。

(ロ) 共和会成立の頃以降、会社の職制その他による利益の供与または脅迫等により、組合員に対し組合脱退ないしは退社の勧告等が行われた。例示すると、

(a) 組合員檜山三郎は同年四月一六日その自宅に会社の従業員で共和会員の佐野清の来訪を受け、同人から「会社に頼まれたのだが、組合をやめて共和会に入つた方が得策だ」と云われ、同月中、同じく共和会員の大槻酉治および上田義元から「仲間が皆、共和会に来たから、お前も来い。その方が利口だよ」と云われ、越えて同年五月一九日には会社の労務課長斎藤正朗から「円満退社するなら、会社から金を出し、また就職の世話もしてやる」と云われ、また、その留守宅に会社の職制大塚某および大西某の来訪を受け、妻に「今日、檜山は解雇されたから、いろいろ話をしよう」と云われた(同人の妻は、これを断つたが、檜山は翌二〇日会社から解雇された。)。

(b) 組合員佐藤嘉悦は同年四月一七日その留守宅に共和会員と称する三名の者の来訪を受け、妻に「組合をやめるなら、金を出すから、主人に話してくれ」と云い残され、同月頃および翌五月頃には各一回当時会社退社後正和に勤務していた松永某から「二~三〇万円やるから、会社をやめないか」と説得された。

(c) 申請人小林は同年四月二六日その自宅(当時茨城県古河市所在)に「ミクニ・タイムズ」というローカル紙の社長池谷某の来訪を受け、妻に対し「会社がどうしても組合から手を引いてくれと云つている。手を引くなら、大きな店一軒も建ててやる。金ならいくらでも出そう」と云われ、申請人小林の妻が右申出を断わつたところ、その二、三日後、何者かによつて夜中居宅に扉を叩く、投石するの仕業がなされたほか、居宅附近に「共産党員小林孝」「全自交の労働者を喰いものにする小林孝」等と記載したビラ多数が貼られ、越えて同年七月上旬には自宅に前記池谷某および正和の役員国分某の来訪を受け、「組合から手を引いてくれ、そうすれば争議は片付く」と説得された。

(d) 組合員柴田有一は同年五月七日会社の臨時運転手藤江英作から「最後まで組合に付くつもりか。組合に付くなら、会社にも、他の会社にも勤められないようにしてやる。最後には何をするか判らないから気をつけろ」と云つて脅かされた。

(e) 組合員関仁一は病気欠勤中の同月二二日その自宅に会社の監査役上田喜八郎および総務課長尾崎恵一に来訪され、「君は会社に付くのかどうか、はつきりしろ。会社に付くなら、悪いようにしない。明日返事しろ」と云われ、翌二三日出社すると、会社職制から白紙委任状の押印を強要された(関は結局、退社した。)。

(f) 組合員清水三四郎は同月二七日その運転する車に乗車した前記松永某から現金二〇万円を提示して、「組合をやめないか」と説得された(清水は結局、その後退職した。)。

(g) 申請人田村は同月頃その自宅に会社の従業員瀬川某に来訪され、退職を勧告されこれを拒否したところ、その後間もなく、何者かによつて右居宅付近の電柱に申請人田村を指して「全自交の犬」等と記載したビラが二回程貼られ、また、会社の臨時運転手ら五人位から留守宅の妻が「組合をやめないと、どてつ腹に風穴があく」等云つて脅かされた。

(h) 組合員鈴木才吉は同年六月二二日会社の監査役上田喜八郎から組合に残留することにつき「いいかげんにしないか」と云われ、「いやだ」と答えたところ、「覚えていろ」と云われ、翌二三日から下車勤を命じられ、越えて、同年七月一日には会社の取締役原正章の来訪を受けて、組合脱退を説得された。

(i) 申請人安藤は同年六月一三日当時会社を退社していた斎藤某、川口某に来訪され、「正和の運転手に頼まれたのだ。金を貰つてやるから、退社しないか」と勧告されこれを拒否したが、越えて同年八月二四日頃には会社の職制大西某の来訪を受け、「三〇万円出すから」と云つて、組合脱退を説得された。

(j) 組合員小宮某は同年六月二九日頃その居宅(埼玉県岩槻市所在)附近に同人夫妻を名指して「共産党の犬」「全自交を喰いものにする」等と記載したビラ、同じ頃肉屋を経営している小宮の兄の店舗附近に同人を中傷するビラを何者かによつて貼られ、また、右店舗にも五、六人の暴力団風の男の来訪を受けた。

(k) 組合員桜井美彰は同年八月頃会社の取締役遠田智および営業課長松原吾市から母親の入院先を来訪され、両親に「示談して会社をやめるよう」に云つて説得され、その後間もなく、会社の職制大塚某および大西某から同病院に来訪され、「一〇〇万円やるから、退職しないか」と勧告された。

(l) 申請人阿部は同年八月頃その居宅附近の国電ガード下のコンクリート壁に何者かの手により、同人を名指して「会社を喰いものにする犬」、「組合活動しているから、嫁にきてがない」、「ぺんぺん草をはやす……」など記載したビラ多数を貼られ、また、同旨のビラ多数を附近の住家に配布された。

(m) 組合員風間竜司は同年九月六日および九日の二回にわたり、その居宅附近の田圃に、同人の住所氏名を冒用し、「私は共産党に入つて、大衆の皆さんにご迷惑をかけましたので、土地を坪五〇〇円で全部解放します」と書いた何十枚かの立札を何者かによつて立てられた。

(ハ) また、会社の樽沢社長就任以降、会社構内に屯ろする臨時運転手ないし防共青年隊員等から組合員らに対する暴行事件が頻発した。例示すると、

(a) 同年四月七日朝上番の就業時刻以前において、申請人榊原は会社の仮眠所において組合の職場集会を主宰中、突然会社の営業課長野崎義人(樽沢社長就任と同じ頃入社)から胸倉を掴んで、室外に引きずり出されたうえ、その場で、会社の臨時運転手木村某から担ぎ上げて、逆さに吊す暴行を受け、また、これを目撃して抗議した申請人小林は前記藤江から腰の辺を掴んで五、六回振り廻す、顔面を殴る等の暴行を受けた。

(b) 同月九日申請人榊原は上番就業時刻前の集会を主宰中、前記藤江から足蹴り等の暴行を受けて負傷し、一旦乗務後、会社の専務取締役北見梅吉に医師の診断書を提出してその承認のもとに欠勤したが、地域共斗会議の要請により午後三時頃その宣伝カーに同乗したところ、前記樽沢隼人ほか三~四〇名に襲われ、車外に引きずり出して殴る、蹴る等の暴行を受けて加療約一ケ月を要する傷害を受けた。

(c) 同年五月九日上番始業前の組合集会解散直後、申請人安藤は右藤江から、「お前たちが、いつまでも集会を止めないなら、ぶち殺す」と云つて、ほかの四、五名の助勢により、突き飛ばしたり、足蹴りにしたりする暴行を受け、これがため加療五日間の左臀部左足背部打撲傷を受けた。

(d) 同月一五日上番始業前、会社の門前で組合の宣伝カーの屋根に乗つていた申請人榊原および同小林は会社の臨時運転手らに引きずり下され、これを会社社庭で目撃した組合員鵜沢義弘は暴力を止めるよう叫んだところ、正和の社員加藤某から「何が暴力だ」と云つて突き飛ばされ、さらに会社の臨時運転手らから顔面を殴る、耳朶を引つぱる、襟首を掴んで身体を車両に押し付ける等の暴行を受け、また、これを目撃して宣伝カーの上からマイクで「暴力をやめろ」と云つた組合員桜井美彰は忽ち右臨時運転手一〇名位に取巻かれ、その一人から腰辺を掴んで振り廻され、他の何人かから顔面を殴る、足蹴にする等の暴行を受け、その後車両点検に取かかつたところ、さらに臨時運転手ら一二、三名に取囲まれて顔面を蹴られ、車庫内に連行されたうえ、同所で、みぞおちを殴られ、土足で下半身を蹴られ、さらに前記藤江から野球用バツトで頭部を激しく殴られ、これがため、その後頭痛に苦しみ、同年一〇月一〇日まで入院加療した。

(e) 同年五月一九日上番始業点呼前、組合員鈴木某は社庭で前記藤江から車両を身体に衝き当てられ、これを目撃した組合員佐藤達也は「暴力止めろ」と云つたところ、藤江から「暴力とは何だ」と云つて、左前胸部を足蹴にされ、通院加療一週間の打撲傷を受けた。

(f) 申請人安藤は同年六月一四日午前七時二〇分頃社庭で車両点検の際、後記(三、(一)、2、(1))のような事故を起したところ、前記野崎課長に胸倉を掴まれ、臨時運転手らから、押したり、引つ張つたりされて、会社の事務所に引ずり込まれ、これがため、左腕に全治五日間の打撲傷を負い、越えて、同年九月三日下車勤務中洗車場を清掃し、これを完了したところ、前記藤江のほか臨時運転手の広野某ら四、五名に取囲まれ、また掃除しろ等と難くせを付けられ、広野から顔面を殴られて近くの便所内に押し込まれ、藤江から背部を足で蹴られたりして、暴行を受けた。

(g) 同月二〇日午前七時過ぎ組合事務所前の道路上で組合が集会中、何者かが胡椒を包んだ国旗を会社構内から塀越しに組合員らの頭上に差出し、激しく振つて、胡椒を撒き散らし、ついで防共青年隊の田中某および寺田某の二名がそれぞれ点火した発煙筒一個宛手にして、組合員らの中になだれ込み、組合員の檜山三郎および申請人阿部はこれに抗議したところ、前記藤江から顔面等を殴打する暴行を受けた。

(ニ) かような事態のうちに、組合員中、三八名が共和会に去り、七〇名以上が退職し、また組合執行部として会社に止るものは病気療養中の中田書記長ただ一人だけとなつた(執行部一一名中、六名は解雇された。)。

(二)  以上の事実から推すときは、会社は組合の存在を嫌悪し、樽沢社長就任後、強硬な組合弾圧策を採つて、その壊滅を図つたものであつて、共和会の結成をはじめ、会社内外において行われた組合員に対する各種勧告ないし説得ならびに暴行、脅迫のたぐいも、すべて会社の意を受けてなされたものと認められる。

そうして、その手段の苛烈さ等からすると、会社が申請人らに対してなした懲戒処分は申請人らによほどの右処分に値する非行があつたことの特段の事情がない限り、申請人らが組合員であることを決定的理由としたものと認めるほかない。

ところが、会社の掲げる申請人らの処分事由が、

1 申請人榊原、同小林、同阿部および同田村は

(1) 昭和三八年七月三〇日締結の賃金に関する協定に伴う平和義務違反の争議行為

(2) 昭和三九年一月二八日の無通告ストライキ

(3) プロパン車使用反対の争議行為

(4) ステツカー貼布の争議行為

(5) 会社施設の無断使用、無届の集会

(6) 両番手入、道路交通法反対斗争

(7) 昭和三九年三月八日の会社の役員等に対する不法監禁を企画、指導、実行したこと、

加えて、申請人榊原は同年四月九日虚偽事由により欠勤して組合宣伝カーに乗車したこと、

2 申請人安藤は

(1) 同年六月一四日担当車両の始業点検において、ブレーキの故障に気付かずに右車両を発進させて、会社の施設に衝突させ、始末書を提出しなかつたこと(第一次休職処分につき)

(2) 右休職期間満了後、会社から始末書の提出を要求されても、なお、これを拒否したこと(第二次休職処分につき)

に存したことは当事者間に争いがないけれども、項を改めて説示するように、右処分事由はいずれも申請人らに対し前記懲戒処分を加えるに値するものとは評し得ないのである。

三  申請人らに対する処分事由について事実関係ならびにこれに対する評価如何を判断する。

(一)  まず、処分事由およびこれに密着する事実関係につき、当事者間に争いのない事実および疎明により一応認めた事実を概括すれば次のとおりである。

1 申請人榊原、同小林、同阿部および同田村に共通の処分事由について

(1) (組合の集団的行動)

組合は、昭和三八年春斗において五千円の賃上げを要求し、会社と十数回団体交渉を重ねた後、同年七月三〇日付をもつて賃上げに関する協定を締結して、斗争を終結した。右協定は会社のタクシー乗務員の賃金については、同年六月二一日から固定給のうち、本給(本採用者につき)、精勤給(原則として一三乗務以上の者につき)および勤続給(同年六月二〇日現在の本採用者につき)をそれぞれ五〇〇円宛、計一五〇〇円増額する旨(3項および4項の(イ)ないし(ハ))を定めたほか、当時予想されたタクシー運賃料金(以下「運賃等」という。)の値上げ以後に一人につき六三四円(歩合給分―五〇〇円とふまれた―と深夜割増賃金―前記固定給に対するものを含むとされた―の増額分とを含む)を調整財源として、歩合給の変更を行う旨(4項の(ニ))を定め、その算定については業者(大手四社を意味する)方式(タクシー運賃等値上げに際しては改めてそのために賃上げはしないことにしたうえ、歩合給を

営業収入(稼動高)/1+運賃等値上率×現行歩合率

により算出し、その結果、営業収入が運賃等値上げに見合わず賃下げを生じた場合には、その差額を三ケ月保障する、すなわち、運賃等値上げ後における歩合給は、その率を

現行歩合率/1+運賃等値上率

まで引下げて、増額しないことを建前とする方式)を用いることを前提とするが、実際には、同年七月一日付覚書別表(1)による旨(1項)をうたつた。そして、右覚書別表(1)によつて、労使間には、業者方式による賃下げの場合の差額の保障しない旨(1項)ならびに歩合給は

現行平均営業収入(11.5万円)に対する歩合給/運賃等値上げ後の平均営業収入実績額

を平均的基準とする新歩合率により算出する(但し、一一・五万円に対する歩合給は現行の歩合率―一二%―によるものに、協定による六三四円の調整加算を了したものとする。)旨(2項)が了解されていた(これによると、運賃等値上後における歩合率を

現行歩合率+平均634円の財源から換算される歩合率

まで引上げるとともに、運賃等値上げに伴い乗客減少のため平均営業収入の実績額が一一・五万円を下廻ることになつた場合の歩合給の減少を補填する方式として、業者方式のような差額保障と異り、右歩合率に

現行平均営業収入11.5万円/運賃等値上げ後の平均営業収入実績額=X

を乗じたものを新歩合率とするものであつて、このため運賃等値上げ後において平均営業収入が一一・五万円を下廻るときは右保障の趣旨が活きるが、逆に上廻るときは歩合率の引下げが生じることにもなる。すなわち、右新歩合率の定め方は協定締結の段階では投機的要素を含み、労使いずれに有利か不明であり、また、右Xなる分数の分母に当る平均営業収入の実績算定の期間が協約上全く定めを欠いたため、後記紛争の種が播かれた。なお、会社におけるタクシー運転手に対する賃金の支払方法は毎月二〇日締切、二八日または二九日払いの定めであつたので、昭和三九年一月分の賃金は後記料金値上げ時期の前後にまたがる稼動分として、新旧両歩合率によることになつたが、少くとも、これについては右Xは未知数に止ることになつた。)。また、右協定は、その附則において、あらかじめタクシー運賃等値上げ後の平均営業収入実績額の算定方式および歩合率の具体的計算例による算定方式を整え、労使双方が確認して、右運賃等値上げ後、速かに実施できるようにする旨((ロ)項)ならびに右協定にない事項は現行どおり取扱う旨((ハ)項)を定めた。そして、同年一二月二四日にいたり、運輸省当局からタクシー運賃等値上げを翌月一日から実施する旨発表されたが、組合は同年一二月二八日右協定の附則(ロ)項による平均営業収入実績額等の具体的計算には三ケ月間位の実働を要することを理由に、その間の賃金については附則(ハ)項により新運賃等による営業収入に対する現行歩合率による歩合給を支給すべきことを要求して、会社に団体交渉を申入れた。これに対し、会社は同月二八日組合との団体交渉において、運賃等値上げに伴い歩合給に増額さるべき金額を予想される具体例によつて算出したうえこれを現行の平均営業収入(一一・五万円)に対する歩合給との対比によつて説明し、翌二九日会社の掲示場に「協定を否定するようなことは残念であり、各位が良識ある行動をとられることを望んでやみません」と記載した文書を掲示し、明けて昭和三九年一月一一日には、さきに団体交渉中、組合にしたのと同旨の説明を載せた「従業員並びに御家族の皆様へ」と題する書面を各従業員の自宅に送付した。組合はその間に斗争体制を整え、同月三日には、スト権を確立し、かつ、その旨会社に通告し、以後、会社との間において同月中に一一回、翌二月中に七回、団体交渉を行つたが、一方、会社はその間、同年一月二六日には、組合に対し同月分の新歩合給支給については右協定の附則(ロ)項による組合の確認がないため、これを

旧運賃等による営業収入×(現行歩合率+調整財源634から換算される率)

により算出して支払い、組合の確認を得た後、精算することに同意されたく、もし、同意がないときは右方法による支払を実施する旨を通告して、これを実施した。

ところが、組合は同月二八日会社に対し、このような一方的支払方法には反対して斗争し、その支給額は賃金の内払とし受け取る旨を通告し、それ以後、左記のような行動を展開した。

(イ) 同月二八日組合は会社に通告することなく始業時刻から上番者を含めた二時間の時間内職場集会を開いて、会社が同月二六日通告した歩合給支払方法について討議したところ、会社の説明を求める声が出たので、会社から専務取締役今井栄一、取締役原正章が出向いて説明をしたが、組合員らはその説明を納得せず、終了予定時刻を過ぎても、右会社役員に抗議を続け、午後五時頃にいたり、組合執行部の説得により、ようやく上番者は出庫乗務した。

(ロ) 会社は経営政策上、経費を下げるため、営業用としてプロパン・ガス使用車(以下「プロパン車」という。)の採用を決め、同年一月中の団体交渉において、その旨を組合に通告したが、組合はプロパン車の安全性に問題があるとして反対し、その後プロパン車の爆発事故の写真を掲示する等して、組合員に対する教育宣伝に努める一方、会社に対してプロパン車の採用に強く反対し、団体交渉においては危険手当および事故の場合の最大限の保障がない限り、これに乗務できない旨を主張した。会社は同年二月一二日組合にプロパン車の安全性を説明するため、その製造元であるプリンス自動車工業株式会社(以下「プリンス」という。)の社員二名に来社を仰ぎ、社長室に申請人榊原ら組合役員を呼び入れたところ、組合側は多数で押しかけ、大声で「プロパン車は絶対受け入れない」等云つて、プリンスの社員の説明を受けず、これと激しく応酬したが、結局、右社員の説得によりプリンスの工場見学をすることとなつた。会社は、翌一三日プロパン車二台を購入して、その旨組合に通告し、その後も、その購入を増したが、これよりさき、従業員から個別的にプロパン車乗務希望者を募つた結果、同月一〇日頃には組合員の飯沼隼、上田義元、横田善三郎ら一〇名位の従業員の乗務申出を受けた。組合は、その執行部において前記工場見学を試みたが、プロパン車採用に反対の態度を変えず、右乗務希望者に対して右申出撤回方説得を行つた。会社は、これがためプロパン車を稼働させ得ず、同年三月一三日には組合の反対を押して、右飯沼、上田、横田らを乗務出庫させようとしたところ、申請人榊原ら組合員がその車を取囲んで、右飯沼らに「馬鹿野郎」、「犬」、「司をやめさせてやる」等と罵声を浴せる等して約一時間にわたり乗務の中止を説得したため、右プロパン車の出庫を中止した(もつとも、翌一四日以降はプロパン車も稼働した。)。

(ハ) 組合は同年三月二日以降、会社所有の全営業用車両の後部ガラス窓の下方に全自交の名で「ガソリン値上げ反対」、「ガソリン消費価格を引下げよう」等と書いた長さ三〇センチ、巾一五センチ位の短冊形のもの(ステツカー)を一ないし二枚宛貼つたり、「池田倍増、労働者賃下げ」等と書いた長さ一メートル、巾二〇センチ位の横幕形のもの(ステツカー)を貼つたりし、会社から同年二月二八日右ステツカー貼付は就業規則違反である旨の警告を受け、同年三月九日には右ステツカーの撤去を要求されたが、これに応ぜず、同月二三日会社側から前記のように実力撤去が行われるまで、これを続けた。

そして、会社の就業規則一四条には「上長の許可なく、業務外の事由による会社建物設備等の使用、業務外の事由による集会放送宣伝印刷の配布貼付掲示等してはならない」と定められている。

(ニ) 組合は同年一月末頃以降、毎朝始業時刻一〇分位前から食堂等、会社の構内で集会を行い、ときには僅かながら、勤務時間にくい込むこともあつた。また、組合は同年三月八日には会社の構内で全自交の東北ブロツク大会および組合員家族大会を開催すべく予定し、これを知つた会社から同月七日右各大会のためにする会社施設の利用を禁止する旨を通告され、翌八日には会社の正門脇に従業員以外の出入を禁止する旨の掲示が貼り出されたのに、右掲示に並べて「本日の集会に参加する方は自由に入つて下さい。司自動車労組」と記載した紙を貼つたうえ、同日中会社仮眠所に会社外の関係者を迎え入れて午前一〇時から東北ブロツク大会、午後から組合員家族大会を予定どおり開催した。そのほか、組合は従来、会社から乗務員仮眠所に備付の掲示板二面のうち、向つて右側の一面についてのみ使用を許可され、左側の一面の使用を禁止されていたのに、同年一月末頃以降、会社の禁止通告にも拘らず、右組合用掲示板以外の板壁、硝子等にも貼紙をした。

(ホ) 従来から会社と組合との間に締結された協定では、タクシー運転手は夏期(六月一日から九月三〇日まで)を除き、上番の日午前八時に出勤し、車両点検後一五分後に出庫し、翌日の午前一時半に帰庫し、午前二時までの三〇分間に車両の点検、手入れ、清掃等を行い、夏期にはそれぞれ、これを三〇分繰り上げて行う旨が定められ、実際にもそのとおりの勤務が行われ、午前八時には次の上番者に申し送り等して車両を引き継いでいたが、組合は同年三月頃には、勤務態様につき、帰庫後の手入れを省き午前八時に上、下番者両名で点検、手入れ等を行つた後、出庫するという、いわゆる両番手入れの戦術を採用し、これがため、車両の出庫は従前より三〇分ないし一時間位遅れた。

(ヘ) 組合は昭和三八年の春斗以前から道路交通法を悪法として、これに基く取締に反対する斗争方針を決め、道路交通法による取締に応じる対策として、組合員の学習会を開く等して、権利意識の啓蒙に努める一方、罰金支払のための積立金等の共済制度を設ける等していた。そうして、昭和三九年一月以降の争議中も従前同様、組合執行部の指導により、組合員の中には、道路交通法違反の容疑で、警察官から免許証の提出を求められてもこれを拒否したり、警察から呼出を受けてもこれに応じなかつたり、即決裁判を受けてもこれに対し正式裁判を請求したりする者が続出し、また組合もその正式裁判に傍聴のため組合員を動員する等して援助した。

(ト) 申請人榊原は、同年三月八日(たまたま休日であつた)午後〇時三〇分頃、全自交オルグ小林望ら一四~五名とともに会社の事務室に立ち入り、今井栄一および北見梅吉両取締役に対し「社長に会わせろ、団交しろ」と要求し、右両名がこれを拒否して退室を求めたのに、約一時間にわたつて滞留し、今井取締役らを取囲んで抗議を行つた。

(2) (申請人榊原の欠勤)

申請人榊原は同年四月九日前記(二の(一)、2、(3)、(ハ)(b))就業時刻前の組合集会中、前記藤江の暴行により負傷し、一旦は乗務したが、医師の診断書を提出して早退を申出て、会社の取締役北見梅吉の承認を得て、欠勤したところ、午後三時頃地域共斗会議の要請を受けたのでこれに応じ、その宣伝カーに乗車して放送活動等を手伝つた。

2 申請人安藤に対する処分理由について

(1) (車両の事故および始末書不提出)

申請人安藤は同年六月一四日午前七時二〇分頃、会社構内において始業点検のため担当車両(同車両は同月一二日右申請人が使用したが、ブレーキに故障がなかつたし、翌一三日には乗務者がなく休車した。)を有蓋車庫から社庭に出そうとし、エンジンを始動させて運行し、フツト・ブレーキをかけながら格別の異常を感ぜず左折、右折し、再度左折して停止しようとしたが、その時には既にフツト・ブレーキが利かなくなつていたため、果さず、右車両を会社の電気修理部入口の支柱に激突させ、右車両および右支柱を破損させ、会社はその修理に計二一六五〇円を要する損害を蒙つた。右事故の原因は当時ブレーキ・オイルの供給部門をなすホイル・シリンダー・カツプが取去られ、オイルが流出していたのに、右申請人が全然気付かないことにあつたが、同申請人は前記のようにその前々日に右車両を使用した際、フツト・ブレーキに異常がなく、また前日は右車両に乗務者がなかつたので、まさかブレーキ・オイルに右のような異常があるとは想像もしなかつた。ところが、会社は右事故発生直後、前記のように野崎課長その他によつて右申請人を会社の事務所内に引ずり込んだうえ(二の(一)、2、(3)、(ハ)、(f))、事故報告書および始末書の提出を迫り、同申請人が事故の原因に不審を抱いたため、調査に時間を借りたい旨を要求したのを拒否する一方、右車両の故障箇所を修理してしまつた。右申請人はその後会社に事故報告書を提出したが、事故発生の原因が不明であるとの理由から始末書の提出をしなかつた。

(2) (始末書不提出)

右申請人は同年八月一九日休職期間を明けて、出勤したが、会社から再び始末書の提出を求められ、前同様の理由から、これを提出しなかつたところ、会社は申請人に反省の色がないとして、下車勤を命じ、同年九月一〇日まで同申請人を乗務させなかつた。

(二)  次に、以上の事実に基き懲戒処分の当否を検討する。

1 申請人榊原、同小林、同阿部および同田村に共通の処分事由について

(1) 組合員の昭和三九年一月二八日以降の行動は昭和三八年七月三〇日付賃金に関する協定締結に伴う平和義務に違反するか。

右賃金協定における歩合率の定め方には前記のような不安定な要素を含んでいたというべきところ、組合は毎月一定不動のものとするため、運賃等値上げ後の平均営業収入の実績算定に時間を藉すべく要求し、かつ、その間は協定附則(ハ)項により新運賃等に旧歩合率を乗じた歩合給の支給を要求したのであるから、組合の右要求は筋の通らぬものとはいえない。けだし、同附則(ロ)項には右営業収入の実績の算定方式を予め労使双方確認して運賃等値上げ後速かに新歩合給の支給を実施するとあるが、仮想される営業収入の算定方式は事前に確認することはできても、新歩合率を定める因子たる前記Xなる分数の分母に当る平均営業収入実績額なるものにつき、これを算定する期間の取極めが協定上なされていない以上、新歩合率自体は未だ明確に定められたといえないからである。

したがつて、組合が右要求のため斗争を展開したことは、にわかに平和義務に違反するものとなしがたく、右申請人ら組合執行部がそれ故に責任を問われるいわれもない。

(2) 組合の昭和三九年一月二八日の不就労は違法か。

組合が同日始業時刻から上番者を含めた時間内職場集会を開き、その成行き上、午後五時頃まで組合員を就労させなかつたことは一種のストライキというべきであるが、組合執行部がスト権を確立し、これに基いて行つたものである以上、正当なストライキというべきであつて、申請人ら執行部が問責される廉はない。なお、右ストライキにつき会社に事前通告があつたことの疎明はないが、労働協約上ストライキの事前通告約款が存することの疎明もないから、この点何ら問題とするに足りない。

(3) プロパン車採用反対斗争は違法か。

組合がプロパン車の安全性を疑い、これが営業用車両としての採用に反対して斗争したことは、当時としては、その安全性が一般に確認されていたことの疎明はないから、右斗争目的をもつて、あながち不当であるとは評しがたい。

もつとも、会社がプロパン車の製造会社の社員をして、組合にプロパン車の安全性を説明させた際、組合員多数が押しかけ、大声を発して説明を受け付けず、右社員と激しく応酬したことは他社の社員に接する態度として常識を欠くとともに会社に対する必要以上の抗争手段に堕したきらいはあるが、暴力行為を伴う等特段の事情がない限り、これをもつて直ちに違法視するのは当らない。

また、会社が一部組合員をプロパン車に乗務、出庫させようとした際、組合員らがこれを阻止しようとし、その車を取囲んで罵声を浴せたことも、会社が組合の反対を押してプロパン車を稼働させようとし、一部組合員がこれに同調したことに端を発したとみられる以上、これとの相対関係において、暴力行為を伴う実力行使に出た等、特別の事情がない限り、平和的説得の域を超えたものといえない。

したがつて、右申請人らが組合の役員として、右斗争についての責任を問われる筋合はない。

(4) ステツカー貼付の斗争は違法か。

組合が会社の営業用車両の後部ガラス窓にステツカーを貼付するについて会社の許可を受けたことの疎明はなく、ほかにこれが争議中の慣行として承認されていたことの疎明もないから、右行為は会社の就業規則一四条に違反し、加えて、これにより車両後部の視界が狭まり、それだけ事故防止の障害となることは明らかである。したがつて、会社が組合に対してステツカーの撤去を要求したのは当然であつて、組合がこれに応じなかつたことは正当な争議行為といえず非難に値する。右申請人らのこの点に関する責任については後述する。

(5) 会社施設の無断使用、無届の集会は違法か。

組合が始業時刻一〇分位前から職場集会を行つたことについては、会社の構内が使用された点および時間内に喰い込むことがあつた点で一応問題となるが、会社と争議状態にある組合が就業前の僅かな時間を利用して集会を開くには自己の職場を利用するのが適切で、ことに隔日に上番するタクシー運転手を組合員とする組合としては集会を開くのに、ほかに適当な手段もないことに想到すると、その結果、会社に格別の混乱をもたらす等、特段の事情がない限り、会社施設利用の故をもつて、直ちに違法視するのは酷に失するきらいがあり、また集会の勤務時間への喰い込みも、それが僅かな時間、時たま生じたにすぎないことからすると、これ亦同断である。

組合が会社の許可しない場所に貼紙をしたことは、なるほど形式的には前記就業規則の規定に牴触するが、右貼紙が正常な組合活動の範囲を逸脱したり、会社の施設の効用を害したりする等、特別の事情がない限り、組合の執行部の責任問題にするほどにその違法性を重大視するには当らない。

次に、組合が会社の禁止通告に拘らず、会社の構内に部外者を招じ入れて全自交東北ブロツク大会等を開催したことは前記就業規則の規定に違反し、かつ、会社の部外者の利用に供した点で、組合活動上これを是認すべき特別の事情の存在したことの疎明がない本件においては、一応非難されても、やむを得ない。右申請人らのこの点に関する責任については後述する。

(6) いわゆる両番手入斗争は違法か。

組合が両番手入の斗争戦術を採用し、これがため車両の出庫稼働が遅滞したことは、その態様からみると一種のサボタージユというべきであるが、組合執行部が前記(2)と同様、スト権を確立し、これに基いて行つたものである以上、正常な争議行為というべきであつて、組合執行部を問責すべき筋合ではない。

(7) 道路交通法反対斗争は違法か。

組合が道路交通法による取締反対斗争を展開したことは、あるいはそのスローガンにおいて法律否定をうたう手段を伴つたかも知れないが、右斗争の態様についてみると、組合員の権利意識の啓蒙に出て、刑事裁判の正当手続請求を事としたのであつて、とくに違法な斗争手段を用いたことの疎明はないし、その結果、会社の業務運営に支障があつたことの疎明もないから、右斗争を違法とする根拠はない。

(8) 事務室滞留を伴う会社役員に対する要求、抗議は違法か。

組合の執行委員長たる申請人榊原が全自交オルグら一四~五名とともに会社の役員に団体交渉を申入れ、退去要求を受けたに拘らず、会社の事務室に滞留し、右役員を取囲んで抗議したことは当時前記紛争につき会社の非を挙げつらう余り行われたものと推量されるが、会社が組合の団体交渉を理由なく拒否した等、特段の事情がない限り、右会社役員の自由意思を束縛せんとするものであつて、常軌を逸し、正当な組合活動の範囲を逸脱したものというべく、非難には値する。ただ、右申請人ら組合執行部の責任については後述する。

(9) 以上通観すると、右(4)のステツカー貼付斗争、(5)のうち、全自交東北ブロツク大会等のための会社施設使用および(8)の会社役員に対する要求、抗議は、いずれも組合活動の正当性をもつて蔽いがたく、申請人榊原、同小林、同阿部および同田村は右諸行為につき組合の幹部として、これを企画、指導または実行したものと推認されるが、その責を問うのに、果して懲戒解雇をもつてするのが妥当か否かは自ら別問題である。

そうして、右行為の結果、会社の業務に与えた消極的影響については疎明上必ずしも詳らかではなく、少くとも重大な支障が生じたことの疎明はないから、当時の労使関係の在り方その他諸般の情状を考えても、企業秩序の侵害に対する制裁として最も重い懲戒解雇に値する非行として評価するには足りない。

2 申請人榊原単独の処分事由について

右申請人が負傷後、早退を申出でながら、地域共斗会議の宣伝カーに乗車し放送活動等を手伝つたからといつて、同申請人がタクシー運転の通常の乗務に堪えられる状態にあつたものとは即断しがたく、ほかに右早退事由が虚偽にわたつたことの疎明はない。

してみると、右申請人が医師の診断書を提出して、早退につき会社の役員の承諾を得ている以上、格別の事情がない限り、右早退による欠勤につき同申請人が懲戒解雇をもつて処遇さるべきいわれはないものというべきである。

3 申請人安藤の処分事由について

右申請人が始業点検に際し、ブレーキの故障のため車両を会社施設に衝突させたことについては一見、同申請人の不注意に起因したようではあるが、右ブレーキの故障はブレーキ・オイルの供給部門をなすホイル・シリンダー・カツプが取去られ、オイルが流出していたことによつて生じたものであるところ、右事故の前日、右申請人は会社の意を受けたと推量される斎藤某ほか一名から退社を勧誘されて、これを拒否した事実があり(前記二の(一)、2、(3)、(ロ)、(i)参照)、また、右事故直後、会社側は右申請人を会社の事務所に引きずり込んで、事故報告書および始末書の提出を迫り、調査に時間を借りたい旨の同申請人の要求に耳を藉さず、故障箇所の修理を遂げてしまつたのも事実であるから、その前後にわたつて行われた会社の組合員に対する激しい組合脱退工作(前記二の(一)、2、(3)の(ロ)全般参照)に照すと、右ブレーキの故障には多大に不審の点があり、他方、右申請人は前々日の乗務に際し、ブレーキに故障がないことを確認し(前日は右車両は休車している。)、事故直前にもフツト・ブレーキをかけ異常を感じなかつたのであるから、右ブレーキの状態に気付かなかつたことには無理からぬものがあるのであつて、右事故につき右申請人の過失を責めるのは酷にすぎるというべきである。そうして、右申請人が会社の要求に対し事故報告書を提出しただけで事故発生の原因が不明であるとの理由から始末書の提出をしなかつたことは右に示した経緯に照せば、当然のことであつて、なんら非難するに当らない。

また、右申請人が第一回の休職期間を明けて出勤後も、会社の要求に対し右同様の理由から始末書の提出をしなかつたことも同断である。

すなわち、右申請人には懲戒休職を受くべき非行があつたとはいえない。

四  そうだとすると、申請人榊原、同小林、同阿部および同田村に対する懲戒解雇の意思表示は公序に反し無効であつて、右申請人らは、なお会社の従業員たる地位を有し、右解雇による就労不能がもつぱら会社の責に帰すべき事由によつたものというべきであるから、それぞれ解雇後も賃金請求権を有するものといわねばならない。また、申請人安藤に対する懲戒休職処分による同申請人の就労不能はその責に帰すべき事由によつたものではなく、もつぱら会社の責に帰すべき事由によつたものであるというべきであるから、同申請人は懲戒休職期間の賃金請求権を有するものといわなければならない。

そうして、申請人らの本件仮処分において請求する債権額は別表(2)債権額欄記載のとおりであるところ(内訳の詳細は同表賃金、賞与欄のとおり)、少くとも、申請人榊原の平均賃金が三五二〇四円、同小林のそれが三八〇二二円、同阿部のそれが三五二九九円、同田村のそれが三二九八〇円の限度では当事者間に争いがなく(右申請人らはその平均賃金の算出につき、昭和三八年一〇月ないし一二月の三ケ月の賃金額を基礎とすると、申請人榊原のそれは四二八二五円、同阿部のそれは三九八七一円であると主張するが、右主張の賃金額を基礎として平均賃金を算出すべき法的根拠はない。)、疎明によると、申請人安藤の平均賃金は四二四五〇円であること(申請人安藤はその平均賃金算出につき昭和三八年一月ないし三月の賃金額を基礎とすると四四三二一円になると主張するが、右算出方法によるべき法的根拠はない。)、会社の給与規定第八条に「月によつて支給される給与で月に満たない場合を生じたときは、月の日割計算を行う」旨が定められていること(なお申請人らは月の日割計算には一月を二六日とすべき旨主張するが、理由がない。)が一応認められるから、申請人榊原、同小林、同阿部および同田村が本件解雇の日の翌日から昭和四一年四月二〇日までの期間、また申請人安藤が本件休職期間(以上、いずれも申請人らが賃金につき本件仮処分を求める期間)に受け得べきであつた賃金は計算上別表(1)記載のとおりである。

なお、申請人榊原、同小林、同阿部および同田村は昭和三九、四〇年の各七月および一二月には賞与として一回当り、少くとも申請人榊原につき四四八四五円、同小林につき四二四六〇円、同阿部につき四〇九五〇円、同田村につき四〇七三〇円の支払を受け得るはずであると主張し、また申請人安藤は昭和三九年の七月および一二月には賞与として一回当り少くとも四四一二〇円の支払を受け得たはずであると主張し、それぞれにつき仮処分を求めるが、右賞与の金額を根拠付ける事実については、その疎明がない。

五  次に、申請人らはタクシー運転手として会社から支給される賃金によつて生活を営んでいたものであつて、たとえ、三、四ケ月の分であつても、その支払を受けられない場合には、生活に困窮を来たし、異常な損害を蒙る虞があることは見やすいところであるから、申請人らの前記賃金債権につき現在満足を与える仮処分の必要性があるものというべきである。

もつとも、疎明によれば、組合が昭和四一年五月一日メーデーの集会場で牛乳を販売し、また、その後もラーメン、ホツト・ドツグ等の行商をし、一方行商用自動車買入資金調達のためカンパをしたこと、申請人榊原、同阿部および同田村が失業保険金を受領したことおよび申請人田村が区画整理による減価補償金として五〇万円の交付を受けて、居住家屋を改築したことが一応認められるけれども、右事実だけでは、申請人らが安定した収入の途を得たものとは推認しがたく、仮処分の必要性が失われるものとは考えられない。

六  よつて、申請人らの本件仮処分申請は、被保全権利(前記期間の賃金および賞与)の存在につき、さきに説示した限度において疎明を得、また、保全の必要性についても疎明があるから、保証を立てさせないで主文第一項記載の処分を命じるのを相当と認め、その余の被保全権利の存在については疎明がなく、保証を立てさせて処分を命じるのも相当でないから、この部分につき申請を却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 駒田駿太郎 高山晨 田中康久)

(別表省略)

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